『コロンブスの大きな卵』
敗戦後の日本経済にとっては、生産設備の再建、そのための資本の蓄積が至上命令であった。そのために政府(日銀)は早い段階から国民に貯蓄を奨励した。他方、再建の為には資源の輸入も必須であったから輸出の増強が図られ「貿易立国」が国是となった。ここでいう「貿易」とは輸出にほかならない。このような努力が実って60年代の後半からは国際収支は余剰を生むようになり、その余剰は年を追って増大した。つまり、とりあえずは「日本は成功した」のであった。ところがその後40年を経た今日に至っても日本の政策は著者が「重商主義」とまで呼ぶ輸出至上主義を実質的に維持し続けたままである。著者が力説するところでは、このような政策は維新の開港以来のものであり、その傾向はまた戦時下の統制によってさらに強化されていた。
一国の国際収支の余剰はその国の貯蓄に等しい。日本はその累積した巨大な余剰をドルのままで保有し続け、ドルを獲得した企業に対しては(税収など)別途に調達した円貨を支払ってきた。ここで生じるドルの不妊化はそのままデフレ政策の根因となる。溜めこんだドルを売らないのはドルが下落して輸出産業に打撃を与え(成功を収めてきた)既存の経済秩序が破綻するのを恐れるからである。そればかりではない。すでに減価を続けてきた外貨準備という国民の資産は信任の揺らいでいるドルと今後も同じ道をたどることになる。
本書の理論的な基盤はコロンブスの卵と言えないこともない。それは膨張を続けるにまかせられた国際収支余剰が生み出す巨大なデフレ要因の指摘である。政府、日銀がこのような政策を遂行する過程では、民間の銀行は単なる護送船団に止まらず、厳しく統制された政府機関として機能させられたという指摘も注目に値する。